Q13★化学という名称の起源を教えてください。明治の頃に欧米の学問を輸入した際の当て字、具体的にはケミストリーのケを化で当てたのではないかと考えていたのですが、真実がわかりません。


  西洋に"化学"という学問があることを最初に認識した日本人は宇田川榕菴 (1798-1846)で、多くのオランダ化学書を読んでこの学問の体系を日本に初めて紹介するために著した書が「舎密開宗(せいみかいそう)」です。オランダ語で"化学"のことをscheikundeといいますが、またフランス語由来のchemieともいわれていました。榕菴はこのchemieの音訳として"舎密"という漢字を充てました。これをシャミツと読まず、セイミと読み、漢字自身には意味がありません。
 榕菴が没してから15年後の文久元年(1861)に川本幸民 (1809-1871) が, フニング(J. W. Gunning)著のオランダ化学書を和訳して「化学新書」と題したのがわが国での"化学"の語の初出です。幸民は当時、幕府の蕃書調所に勤めていて、外国書を最も早く閲覧できる立場にありました。当時中国で発行された「六合叢談(りくごうそうだん)」などに"化学"という語が出ていました。幸民はこの中国の使用例に倣ってこの語を「化学新書」の書名に採用しました。したがって"化学"の語は日本人の創作ではありません。中国人がなぜchemistryに"化学"の語を充てたかは明らかではありませんが、おそらく"化"にcheの発音と変化の意味を持たせたのでしょう。
 その後、日本では明治に至るまで「舎密」と「化学」が併用されて、たとえば明治2年(1869)に大阪に開校された化学校も「舎密局」と称されていましたが、漸次「化学」に移行して行って、「舎密」という語は次第に消えて行きました。


(TS) 2003/05/01